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サラリーマンの給料はなぜ生活費に消えてしまうのか?(23)

義務教育がひた隠す目からウロコの危険な経済学

< 第1話 からお読みください >

第23話

エピソード3
学校が教えてくれたあの需給曲線は嘘だったのか?(7)

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 さて、ここでもう一度、上図を見て欲しい。

 では、私たちが学校で習った需給曲線とは一体何だったのか。

 ここで私は正直に白状する。学校で教えている以上、「価格は需要と供給のバランス、すなわち、両者の均衡によって決定される」という説を否定する勇気はない。近代経済学の価格論(ミクロ経済学)もその立場をとっている。

 しかし、言い訳がましいようで恐縮だが、資本主義世界でサラリーマンが潤わないそのメカニズムと、こうした価格論は、実はあまり相関関係がない。

 後述のエピソードで明らかにしていくが、サラリーマンが家も買えないそのメカニズムを解明してくれるのは、商品の「価格」ではなく、商品の「価値(生産費)」なのである。

 要するに、これ以上商品の「価格」について論じると、本稿の目的とはかけ離れてしまうので、ここでは、上図の需給曲線に対する私なりのつたない疑問を呈するに留めたい。

 私が常々疑問なのは、「本当に価格が需要量を決定する主要因なのか」ということだ。

 たとえば、ビールを考えて欲しい。それは、安ければ安いほど売れる(需要量が増加する)ことは確かだが、別に、価格は同じでも、暑ければビールの需要量は増加する。この場合、需要を決定しているのは価格ではなく気候である。

 もっと顕著な例で、映画なんかどうだろう。「面白い!」となれば、値下げなどしなくても大挙して映画館に人々が押し寄せ立ち見となる。逆に、「つまらない!」となれば、半額にしても誰も見向きもしない。この場合も価格と需要の相関関係はまったくない。

 もちろん、近代経済学でも、価格だけで需要量や供給量が変化するとは考えていないが、いずれにせよ、あまりにシンプルな上図のグラフでは、まったく「価格決定」のメカニズムを解明する役割を果たしていないように思える。

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