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サラリーマンの給料はなぜ生活費に消えてしまうのか?(24)

義務教育がひた隠す目からウロコの危険な経済学

< 第1話 からお読みください >

第24話

エピソード3
学校が教えてくれたあの需給曲線は嘘だったのか?(8)

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 もちろん、近代経済学でも、価格だけで需要量や供給量が変化するとは考えていないが、いずれにせよ、あまりにシンプルな上図のグラフでは、まったく「価格決定」のメカニズムを解明する役割を果たしていないように思える。

 この点について、一応、マルクスのことばも現代風に置き換えて紹介しておこう。

 社会主義世界ならば、「パソコンが欲しい人が千人いるので千台作りなさい」と需要量に基づいた供給が可能だが、資本主義世界においては、そもそも需要と供給が一致するはずがない。価格が上昇しようが下落しようが、それは変化の過程に過ぎず、そうした変化が収束したときには、上昇と下落はお互いに相殺され、結果的に価値(生産費)に応じて交換が行われている。
 
 先のエッセイで私は、「学校で教えている以上、価格は需要と供給のバランスによって決定されるという説を否定する勇気はない」と述べたが、一つの可能性として、タイミングよく登場した近代経済学を子どもたちに教え込んで、「あくまでも価格の中心点を決めるのは価値(生産費)である=価格を決定するのは価値(生産費)である」というマルクスの説を、国を挙げて徹底的に隠蔽しているのではないか、という気さえするのもまた実感である。

 もっとも、国が隠蔽し続けている「サラリーマンが決して潤うことができない驚愕の資本主義のメカニズム」は、残念なことに(?)、このあとこのエッセイによって明らかになってしまうわけだが・・・。

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