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サラリーマンの給料はなぜ生活費に消えてしまうのか?(27)

義務教育がひた隠す目からウロコの危険な経済学

< 第1話 からお読みください >

第27話

エピソード3
学校が教えてくれたあの需給曲線は嘘だったのか?(11)

<エピソード3の補足>

※本稿は、興味のない人は読み飛ばしてエピソード4に進んでください。

 アダム・スミスもマルクスも、商品の「価格」は、「生産費+(平均)利潤」に基づいていると唱えている。

 アダム・スミスは「労働価値説」論者なので、「商品の価格を決めるのはその商品に投下された労働量」であるという主張を貫く一方で、「労働者の賃金は生産費の中に含まれている。であるならば、資本家が賃金として受け取るモノ。それが利潤である」と考えた上で、「生産費+利潤=価格」であるとした(これを「自然価格」と呼ぶ)。

 しかし、この考え方では、利潤発生のメカニズムを解明しない限り、自らが主張する「労働価値説」との間に不整合が生じてしまい、結果的にアダム・スミスは「価値論」と「価格論」を両立させることはできなかった。

 一方、同じ「労働価値説」論者のマルクスも、アダム・スミス同様に「利潤は資本家にとっての賃金」と考えたが、マルクスは「労働者の労働こそが利潤を生むメカニズムである」という「剰余価値」の解明に成功し、結果として「価値論」と「価格論」の両立に成功したのである。

 「剰余価値」については、後述の(恐らく最後の)エピソードで触れたい。

 また、「労働価値説」では、商品の「価格」を決定するものは商品の「価値」、すなわち生産費である。したがって、必然的に価格決定のイニシアチブを取るのは生産者、ということなる。一方、近代経済学の価格論(ミクロ経済学)は、消費の側から「価値」を考える「限界効用論」を基礎に価格決定のメカニズムを解明しようと試みている。

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