サラリーマンの給料はなぜ生活費に消えてしまうのか?(34)
義務教育がひた隠す目からウロコの危険な経済学
第34話
エピソード4
お尻も拭けない一万円札がなぜトイレットペーパーよりもありがたいのか?(7)
貨幣の誕生と発展の歴史はこのエッセイでは割愛するが、当初は、米のような一般的な、かつ、十分な量が常に用意されているモノ(提供量が不足してしまったら、現代で言うところのインフレが発生してしまう)が流通を仲介し、その重さによって価値を表現してきたと考えられている。
しかし、さらなる経済社会の発展によって、「価値」だけは残され、しかし、「使用目的」を奪われた(有用物ではない)、すなわち商品とはまったく異なるモノとして貨幣が誕生した。
そして、この貨幣の誕生によって、(1)の流通形態は(2)の流通形態へと劇的に変化を遂げたのである。
(1)<商品> - <商品> - <商品>
↓
(2)<商品> - <貨幣> - <商品>
最後に、もう一度だけ繰り返す。
「貨幣」は「商品」ではない。なぜなら、貨幣には「価値」はあるが、「使用目的」がない(有用物ではない)からだ。
そして、この一見、何でもないような貨幣の特質こそが、前述の(1)とも(2)とも異なる新たな流通形態を生むこととなり、しかも、この資本主義社会では、その新たな流通形態によって貧富の差が生じているのである。
だから、義務教育では「貨幣は商品ではない」ことを教えないのかもしれない。
確かに、お尻も拭けない一万円札ではあるが、それでも、やはり一万円札はトイレットペーパーよりもありがたいことに変わりはない。なぜなら、一万円札には一万円の「価値」があるからだ。そして、私たちは、そのことを無意識に自覚し信用している。
冒頭の話に戻るが、結局のところ、貨幣を支えているのは、この「信用」なのである。
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