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サラリーマンの給料はなぜ生活費に消えてしまうのか?(50)

義務教育がひた隠す目からウロコの危険な経済学

< 第1話 からお読みください >

第50話

エピソード5
サラリーマンは現代の奴隷か?(15)

 「商品を買って、それを消費したら、より大きな貨幣が手元に残る」

 こんな手品を可能にしているそのタネは、以上の検証から、労働者の「労働」以外に考えられない。

<貨幣> - <商品の消費> - <増加した貨幣> 
 資本         労働         資本+利潤

 こうして図にしてみて改めてビックリ! やはり、サラリーマンが働くこと事態が、資本家から見たら「商品の消費」だったわけである。

・サラリーマンが働くことが貨幣と貨幣の仲介をしている
            ↓
・貨幣と貨幣の仲介の役割を担えるのは「商品」だけである
            ↓
・ゆえに、サラリーマンが働くことは「商品」である

 三段論法で見ればこう結論付けざるを得ないのだが、ここまで検証しても、まだどうにも、

 「本当に、私たちが働くことって『商品』なのだろうか。実感が湧かない」

というのが本音ではないだろうか。

 また、みなさんがこのように疑心暗鬼になってしまうのは、逆に言えば、みなさんはすでに

「商品とは何か?」

についてご存知であることの証拠とも言える。

 もっとも単純な、一対一の物々交換、公園のベンチでパンとマフラーを交換したブレッドとスカーフのことを思い出して欲しい。その商品の中には、二人とも、一日働いたという労働量が含まれている。頭脳を使ったり手足を動かしたりというこうした「生理的労働」の「量」が物々交換の基準、すなわち「価値」となっている。

 また、ブレッドは「パンを焼く」という目的を持って働いた。スカーフは「マフラーを編む」という目的を持って働いた。この「労働の目的」はそのまま商品の「使用目的」となっている。

 すなわち、商品とは、「価値」と「使用目的」を持ち、かつ、交換の対象となるモノである。

 では、「労働」には「価値」と「使用目的」があるのだろうか?

 それがなければ、「商品」とはいえない。

 しかし、

 「労働は価値と使用目的を持つ」

と言われても、正直、ピンと来ない。だからこそ、目の前の霧が晴れないのだ。どうやら、ここをきっちりと証明する必要がありそうだ。

 ということで、お待ちかね。では、次回からこの証明をしてみたい。

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