< 第一話 からお読みください >
無限ループ
第二話
「そんな馬鹿な……。どうして?」
およそ三分二十秒。長く退屈な時間。渋々時計を凝視していた誠二は、雨がやんだ空を唖然と見上げたあと、眉を吊り上げ半開きの口で女子高生に問いかけた。
「だから言ったじゃない。私は未来が読めるって。どう、私の言ったこと信じる?」
確かに、信じないわけにはいかなくなった。彼女は、あの大雨がやむ時刻を秒単位で予言してみせた。これは偶然では片付けられない。
〈どうしてこの子はそんな能力を持っているんだ? エスパーか?〉
誠二が訳もわからずに必死に自問自答していると、たたみかけるように彼女が商談を持ちかけてきた。
「ねえ、お兄さん。もし、私のこと信用してくれるならいいモノ買わない?」
「え? ああ、きみのことは信用するよ。するしかないだろう。だけど、いいモノってなんだい?」
そこで言葉を区切った誠二は、すぐに浮かんだ連想に胸を悪くした。そして、怒りで顔を紅潮させると、唾棄するように言葉をつないだ。
「きみ、そういうことしてるわけ? 悪いけど主義じゃないんだ。なあ、すぐにやめたらどうだい。余計なお世話かもしれないけど、もっと自分を大切に……」
「ちょ、ちょっと! そういうこと、ってなによ! 主義、ってなによ! 私、援交を持ちかけてるんじゃないわよ」
大暴走の誠二の勘違いに、彼女は売り物は“自分”ではないと否定してふくれてみせた。その愛らしい仕草は、卑俗な早合点をしてしまった誠二に自省を促すに十分なものだった。
「も、もちろん、誰も、え、援交だなんて思ってないよ。きみがそんな子じゃないことはわかってるよ」
誠二は、咄嗟(とっさ) にお茶を濁すと精一杯の作り笑顔を見せた。
「で、なにを売ってくれるの?」
「その気になったのね。じゃあ、今から説明するからちゃんと聞いてね」
「説明は聞くけど、早くそのモノを見せてよ。モノを見ながらのほうが説明がわかりやすいし」
「今ここにはないわ」
「ここにない? じゃあ、どこにあるの?」
「だから説明を聞いてって言ってるでしょう」
じれったそうに話を先に進めようとする彼女は、雨がやむまでの間に濡れていた髪の毛やセーラー服をハンカチで拭い去り、その美しさが一段と輝いていた。
「わかった。じゃあ、駅に向かいながら説明を聞くよ。雨もやんだし、とりあえずここを出よう」
彼女の説明はシンプルなようで難解だった。
そのモノの設置場所は誠二のアパートの押入れの中。彼女に金さえ払えば、今夜からでも使うことができる。説明を聞く限り確かに魅力的だ。世界中の庶民がこぞって欲しがるに決まっている。「いらない」と言うのは、売るほど金を持っている奴だけだろう。
使い方はいたってシンプルで、誠二はすぐに理解した。しかし、まったくもって実感が伴わない。それが彼女の説明を難解にしていた。
「私の説明、わかった?」
誠二は、首を縦に振るべきか横に振るべきか迷ったが、とりあえず“縦”を選んだ。
「そう。じゃあ、あとはグレードを選ぶだけよ。さっきも話したとおり、爆発がどうしても怖ければハイグレードだけど、まあ、ローグレードでも爆発して死んじゃうなんてことはまずないわ。さあ、お兄さん、どちらを選ぶ?」
「どちら」と訊(き) かれても、そんなモノの存在が実感できていない誠二にとって、グレードの高さなどどうでもよいことだった。当然にして誠二は困惑した。すると、その様子を見た彼女が助け舟を出した。
「じゃあ、グレードは私が選んであげる。それでいい?」
誠二は再び首を縦に振った。感情を伴わない機械的な動作だった。ところが、そのときにかすかに感じた頭の重みで、眠りから覚醒したかのように、それまで活動を停止していた誠二の左脳に電流が走った。
「ちょっと待ってくれ。なあ、論理的に考えよう。そんなモノがこの世にあるはずがないだろう」
「じゃあ、買わないの?」
「だから、買うとか買わないという問題じゃなくて、そもそもきみの説明は……」
「あ、また私のこと疑い始めてるんだ」
彼女が誠二の言葉をさえぎるタイミングは絶妙だった。
「じゃあ訊くけど、お兄さん、さっきはどうしてあんな路地裏に逃げ込んだの? コンビニでビニール傘でも買うつもりじゃなかったの?」
「…………」
「それに、秒単位で雨がやむ時間がわかる私が、なぜ雨に濡れてあんな古びたビルで雨宿りをしていたと思う? 雨が降ることが予感できないなんて滅多にないことよ。つまりは、私の予感を邪魔するほどのもっと大きな力が働いたのよ。私の言いたいことがわかる?」
確かに、あのとき、真っ直ぐにコンビニに向かわずに、吸い寄せられるように路地裏のビルに逃げ込んだら、彼女が待っていたかのように声を掛けてきた。それは紛れもない事実だ。
「運命……、って言いたいんだね」
「そう。私とお兄さんが今夜出会ったのは運命なの。もっと言えば、お兄さんが私からそのモノを買うこともね」
彼女の言い分は説得力に溢れていた。
〈運命か……〉
抗(あらが) えない思いが胸に去来し、「わかった、買うよ、それ」という言葉が自然に誠二の口をついて出た。
「グレードはどっちでもいいよ。きみの都合のいいほうで」
「本当!? じゃあ、ハイグレードは今ちょっと品薄だからローグレードかな。あ、でも値段にもよるわよ」
「そう言えばそうだ。で、いくらなの、それ?」
「うーん、いくらでどちらを売ろうかな……。お兄さんの懐事情にもよるし……。って、ぶっちゃけ、どちらを売るかは私の気分しだいなんだけどね。フフフ」
彼女は赤い舌を出して首をすくめた。
〈なんだ。そのモノには値段もないのか。運命には値段は組み込まれていないのか? やっぱり、いまひとつ頼りないんだよなー、この子〉
誠二の中で再び不安が芽生えたとき、彼のそんな思いを吹き飛ばさんばかりに、「よし、決めた!」と彼女が言った。そして、値段が告げられた。それを聞いて、誠二はあまりの高額ぶりに素っ頓狂な声を上げた。
「代金は俺の全財産!? ちょっと待ってよ! アパートに帰って押入れを開けるまで実物の確認もできない代物に全財産を払えって言うのかい?」
「あら、また私のこと疑うわけ? 運命はどうなったの? これまでのこと、すべて偶然で片付けるつもり?」
誠二は必死で言葉を探した。
「いや、偶然だとは思ってないよ。でも、全財産なんて……」
「ちょっと待って。お兄さん、なにか勘違いしていない? 全財産って言うと確かに法外な気がするけど、お兄さんの全財産って所詮……。フフフ」
彼女が笑いを押し殺すのを見て、誠二は自分の錯覚に気が付いた。「全財産」と言われて反射的にひるんだが、「五万円」と言われれば安い買い物だ。誠二の全財産は手持ちの一万円と四万円ほどの貯金だけ。それに、今夜一晩だけで三万円も遊んでいる。それを考えると、彼女の商品は激安とも言えるものだった。
〈安いな。それなら買ってもいいかな。いや、場合によっては騙されてもいいか。もしそんなモノがなかったとしても、それも含めて“運命”ということか〉
「それに、お兄さん、明日給料日でしょう? どうせ買うなら、給料日の前のほうがお買い得ってことくらいわかるでしょ?」
〈明日が給料日であることまでお見通しか、この子は……〉
誠二は、苦笑交じりに口を開いた。
「わかった。買うよそれ。代金は本当に俺の全財産でいいんだね?」
「うん。これで商談成立ね。じゃあ、ここで別れましょう」
「え? 代金の受け渡しは?」
「もう済んでるから、そのことはそれ以上気にしないで」
〈代金の受け渡しは済んでる? 本当に掴みどころがない子だな……〉
⇒ 第三話へ